今日は「終戦記念日」ですね・・・
私は小学校にあがるまで母の実家で過ごすことが多かったのですが、
母方の祖父母から戦中・戦後の話をよく聞きました。
シベリアでの捕虜生活から奇跡的に生還した祖父からは
「シベリアでお腹が空いてヘビやカエルを手で捕まえて食べた」という話、
祖母からは、戦後、祖父の安否がわからないなか食料が底をつき、
親せきを頼っても「腐ったトマト」しかもらえなかったという話・・・。
また、家でも父からは寒くて辛かった学童疎開の話や、
母からも、空襲警報で蚊がいっぱいの防空壕に入るのが嫌だった話など・・・
物心つくまでは戦争の話を聞く機会が多かったと思います。
(きっともっとたくさんのことを聞いたのだと思いますが、
幼かった私は印象的なことしか覚えていません・・・)
私が幼いときのことなので、戦後25~30年くらいでしょうか・・・
小さな私にしたら「もうずいぶん昔の現実味のない話」でした。
しかし、ついこの間のことのように思う
「地下鉄サリン事件」や「阪神淡路大震災」から
もう23年も経ったことを考えると、
祖父母にとっては戦争は「遠い過去」などではなく、
「ほんのちょっと前」のことだったのだろうと思います。
なぜ幼くて話の内容もよく解らない私にそんな話をしたのかは解りません。
でも、私が成長してからは戦争の話をしなくなったことを考えると、
「教育的に」というよりは、誰かに辛い記憶を吐き出したかったのかも知れないと
最近になって思います。
まだ幼くて難しいことが理解できず、「ふ~ん・・・」と頼りなく聞くだけの私は、
話し相手としてはちょうど良かったのかも知れません。
でも、そんな幼い私に戦争の話はとても強い印象を残しました。
私は小学校に上がると戦争に関わるノンフィクション作品を読むようになり
戦争の悲惨さや恐怖を思い知りました。
中学生以降は勉強やクラブ活動などが忙しくなり
そういった作品を読むことも減りましたが、
高校生の夏休みに当時のボーイフレンドから「どこか遠出しようか?」と誘われ
「原爆ドームを見たい!」と言って目を点にされたのは今でも覚えています
(ちなみに当時の私は大マジメで、もちろん広島は当時住んでいた関西から
新幹線で日帰りできる距離でした。
そして・・・私は未だに原爆ドーム訪問の希望を果たせていません)
毎年この時期に放映される戦時中の記録映画や特別企画作品などを観ると
今は亡き母方の祖父母を思い出します。
まさに『耐えがたきを耐え、忍び難きを忍』んだ戦中・戦後生活を送った祖父母
今は辛いことを全て忘れて眠っているでしょうか・・・。
ところで、この終戦を知らせる天皇の玉音放送の
『耐えがたきを耐へ、忍び難きを忍ひ』・・・という有名なフレーズですが
これは「天皇が国民をねぎらった言葉」だと「勘違い」されている方が
いらっしゃるのではないでしょうか?
(実は私も昔は勘違いしてました(^^;))
これは天皇自身が「耐えがたきを耐え忍び難きを忍んで、降伏を受け入れる」
という意味で、天皇が国民を思いやった言葉ではありません。
天皇自身の想いはどうであれ、この時代は天皇が一国民を思いやるようなことは
体面上許されない時代だったのでしょう。
今日は犬のこととはまったく違う内容のブログになってしまいました・・・
申し訳ありません。
* * * * *
しかし・・・
現在の日本では人間は平和に暮らしていますが、
センターに収容されている犬達に「明日」は保証されていません。
動愛法の改正で「殺処分」をストップしていた各地の動物愛護センターも
あちこちで満杯になり、処分するしかない現状になりつつあります。
犬と暮らしたい、もう1匹犬を迎えたいとお考えの方、
どうか、保護犬に目を向けていただけませんか?
1匹迎えてもらえれば、助けられる命がひとつ増えます!
また、家に迎えるのが難しい方は、シェルターでの犬のお散歩など
お近くのレスキュー団体やセンターでのお手伝いをしていただけると
とてもありがたいです。
ひとりひとりは僅かな力でも、合わされば大きなパワーになります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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